「私がやっていることは、無駄に見えるのかもしれません。でも、無駄ほど大事なものはありませんよ。無駄なく何かをしようとすると、落とし物が多くなります。」(撮影:福森クニヒロ)
40代前半で自然科学の絵本作家としてデビューし、50年近く身近な草花や虫の生きる姿を描いてきた甲斐信枝さん。5年前にNHKのドキュメンタリー番組でその創作風景が放送されると、自然へのあくなき探求心を持ち続ける姿に、大きな注目が集まった。現在、90歳。京都に暮らす甲斐さんが生き物たちから学んだ《自然に従う》こととは(構成=社納葉子 撮影=福森クニヒロ)

ひたむきな姿に心を奪われて

80代半ばまでは、毎日のように《仕事場》である畑に出向いて、草花や虫たちの絵を描いてきました。でもこの2~3年は、すっかり足腰が弱くなってしまって。今までのように外に出て写生をすることは難しくなってしまいました。

ただ、40年近く前に手がけた『あしながばち』という絵本にまつわるエピソードだけは、なんとしても残しておきたいと思い、原稿にまとめたのです。それが2020年10月に『あしなが蜂と暮らした夏』として出版されました。

あしなが蜂と暮らした夏』甲斐信枝:著(中央公論新社)

40年ほど前の初夏、京都市郊外のキャベツ畑で写生をしていると、青むし狩りをするあしなが蜂の女王と出会いました。青むしにとびかかり、大顎で一撃を加えた女王蜂は、弱った青むしの肉を噛みに噛み、青緑色の肉団子を器用に作りあげました。

私はその、生きるためにひたむきな姿に心を奪われたのです。彼らの巣を探し歩き、ようやく比叡山の麓にある納屋に60は下らない数の巣を見つけると、雨の日も風の日も納屋に通い詰める日々が始まりました。

そこで見た女王蜂たちは巣作りや育児にそれぞれ個性があるものの、みな幼虫をそれはもう大切に世話している。納屋の持ち主である農家の「おかあ」にその様子を伝えると、こともなげに「ああ、母親はみなそうや。蜂も人も、同じこっちゃ」って。

その後、母蜂をなくした3つの巣が心配で放っておけず、京都から、当時暮らしていた東京のアパートまで巣を抱えて新幹線で運びました。アパートの一室であしなが蜂との共同生活を始め、親代わりになって育てたその顛末をまとめたのが、先のエッセイです。