騙されたり、荷物を持ち逃げされたり

私が夫に出会ったのは、大学院時代に参加した「東南アジア青年の船」という国際交流事業でした。ASEAN各国の若者と船内で共同生活したり、停泊した国でホームステイをしたりして、国際理解を深めようという内閣府の事業に応募したのです。

1990年代の東南アジアはいま以上の貧しさがはびこっていたけれど、フィリピンやマレーシアのホストファミリーとの濃密な時間で、それこそ人生観がひっくり返る経験を得ました。ホストファミリーの家には、いまでも数年に一度は《里帰り》しますし、死に対する感覚が文化や宗教によって異なると知り、後に死生学を学ぶ糸口にもなりました。

私はたまたま日本で生まれ、衣食住の心配をしたこともない。でも、貧しさゆえに十分な勉強ができない人たちはたくさんいます。「定年退職したら、フィリピンで孤児を育てよう」という夢を夫と語り合ったこともありますし、彼らへの応援が、20代の私の人生観を変えてくれたことへの恩返しになる、という思いでいまの活動をしています。

これは勝手な恩返しですから、自己満足でいい。大きなこともできません。むしろそうと割り切って、私は日本で仕事をして得た収入からある程度の上限を決めて、店の運営資金としています。私がカンボジアにいられる時間には限りがありますが、孤軍奮闘していると、「カンボジアのためにありがとう」と手助けしてくれるカンボジア人が何人も現れました。

最近はコロナ禍ということもあり、しばらくカンボジアに行けていません。そしたら現地の人が「家賃がもったいない」と、親切にパン工房を引っ越してくれました。ただ、土地勘がないのでどの辺かもわからないし、置いていた私の荷物がどうなったのかもわかりません。終始、こんな綱渡りです。

私はクメール語ができないので、スタッフとの日々の連絡はgoogle翻訳(ネットの翻訳サービス)頼み。合っているかはわからないけれど、やりとりはちゃんと成立しているから不思議です。離れた日本からでは経費が正しく計上されているかチェックもできませんし、細かいことを気にしていたら、こんな活動は続けてはいられない。この1年半で、騙されたり、裏切られたり、荷物を持ち逃げされたりしたことは幾度もありました。

私を「マム(お母さん)」と呼ぶスタッフには、したたかな子もいます。彼らにとって私は、毎月お金をくれる奇特な日本人にすぎないのかもしれませんが、こちらも奨学金をあげていると思えばいいのです。

「儲かりもしない、感謝もされないのに」と友人たちは呆れ顔。日本からカンボジアに送金しようとしたら、銀行からマネーロンダリングを疑われました。この活動を人に理解してもらうのはラクではない。(笑)

なのになぜ、と聞かれたら、「だって面白いから」としか答えようがありません。これまで経験したことのないできごとに遭遇するたび、ワクワクします。