鮫島さんが闘病中の夫のため描いたスケッチ。街で見かけた女性たちのファッションを、ユーモアあふれる文章とともに紹介している

現役時代は仕事ばかりの夫でしたが、退職後は一緒に過ごすことが多くなりました。彼を車でゴルフ場に送って行ったときは、帰りを待つ間に車中で絵を描くことも。夫にスケッチを見せましたら、「おれも絵を習おうかな」と言い出しました。でも彼が描くものを見ましたら、あまりにお粗末なの。(笑)

これではお教室に入ってもすぐ辞めたくなるのではと案じましてね、まずは絵の通信教育の受講を勧めました。次に区の絵画教室に申し込み、一緒に自転車で公民館に通ったのです。腕を上げたところで、夫はカルチャースクールの水彩画講座に入会。私は水墨画を習い始めました。

夫のスクールで海外にスケッチ旅行へ行くときには、私も同行しましたし、夫は私の描くものにも興味津々で、自宅でも旅先でも絵についてたくさん語り合いました。晩年に共通の趣味を持てたことは、本当に幸せだったと思います。

 

夫のために書いた絵巻物が、78歳の時絵本に

58年連れ添った夫が亡くなってから22年経ちます。亡くなる数年前にがんであることがわかりましたが、夫は手術も投薬も放射線治療も望まず、自宅で自然に逝くことを選びました。

療養中、外に出られない夫に私が街の様子などを聞かせていたのですが、当時の若い女の子たちに流行していた「ガングロ」も「ヤマンバメイク」も「へそ出しルック」も、夫の想像をはるかに超えているらしく、どんなものかが全然伝わらないので、障子紙を貼り合わせて巻物のようにした紙に描いて説明することを思いつきました。それを見た彼がとてもおもしろがってくれて。いつのまにか長い長い絵巻になっておりました。

夫は「存分に人生を楽しませてもらった、悔いはないよ」という言葉を残して旅立ちました。葬儀後、霊前にその絵巻物を置いていたら、いらした出版関係の方の目にとまって。思いがけず絵本になり、78歳にしてデビューです(笑)。その後、出版社から何冊か執筆を頼まれ、講演会のご依頼もいただくようになりました。