「私は堀社長から、『潮時は自分で決めなさい』と言われていたの。だから毎年、『これが最後なのかな? まだやれるかな?』と考えながらやっていました。」(榊原さん)

「潮時は自分で決めなさい」と言われていた

榊原 充希と同じように、私も限界まで出しきっていたんですよ。そうしたら当時のホリプロの堀威夫社長から、「郁恵、毎回120%じゃ続かないから、自分でペース配分を考えて70%でやりなさい」と言われました。

翌年、一所懸命「自分の70%ってこのくらいかな」と考えたけど、わからない。結局、毎回出しきるのが自分のやり方なんだと思って。終演後、毎回這うようにして帰宅していました。

高畑 何年か続けると、自分がピーターパンでいられなくなるタイミングがわかるような気がします。私は6年目に、明確に「もう来年はダメ」と思った瞬間がありました。

榊原 私は堀社長から、「潮時は自分で決めなさい」と言われていたの。だから毎年、「これが最後なのかな? まだやれるかな?」と考えながらやっていました。結婚も卒業のひとつの理由ではありましたが、耳鼻科に加えて整体などの病院通いが多くなったと感じた時、「潮時かな」と。頼る人ができたことで、気持ちが緩んだのかもしれません。

高畑 郁恵さんは、お子さんを連れて「ピーターパン」を観に行ったことはありました?

榊原 行きましたよ。そういえば昔、ウェンディ役を演じていた比企理恵ちゃんと、「自分たちがいずれ結婚して子どもができたら、この舞台を見せたいね」と稽古場で話したの。その言葉通りになったけど、本当は自分が出演しているのを見せたかったなぁ。

理恵ちゃんは、ウェンディだけでなくダーリング夫人を演じて長年この舞台に立っているんですよ。一方、卒業してしまった私は、ウェンディのように、「あぁ、私は大人になっちゃったんだなぁ」と感じました。