お母さんっ子のみねちゃんを慰めて
みねちゃんとの出会いは、宝塚音楽学校の一次試験前日まで遡ります。当時、音楽学校の近くに阪急旅行会館という施設があって、受験生たちの多くが泊まっていました。母とロビーに座っていたら、彼女がお母さんと通り過ぎて「ああ、あの人も受けるんやねえ」と母と話しながら見ていたんですよ。
一次試験の合格発表の朝、また母とロビーに行くと、みねちゃんが1人でぽつんといるんです。私の母が「どうしたの? 1人?」と声をかけると、「はい、母さんは用事があって帰りました。たぶんダメやから、私も帰ります」と言うじゃないですか。
母が驚いて「えっ! 何を言うてるの! ちょっとここで2人で待ってなさい。おばちゃんが見てきてあげるから」と私たちを置いて、走って掲示板を見に行ってくれたんですよ。戻ってきた母が「2人とも合格してたから、二次試験も頑張りなさい」とみねちゃんを励ましていました(笑)。そこからのつきあいです。
みねちゃんは色が白くて背も高くて、目立つ存在でした。でも何年も前から歌やバレエのレッスンを受けていたわけではありません。ただ、宝塚歌劇のファンだった。私はといえば、子どもの頃に子役として芸能活動はしていましたが、宝塚歌劇は知らず、歌を習いたかった。
だから2人とも音楽学校に入ってからが大変で。特にバレエはペイも含めて苦労しました。同期は男役でバレエの苦手な人が多く、残されて補習を受けたんです。背の高い男役がずらっと、バレエ教室の端から出てきて跳びながら移動する振り付けで踊っていると、バレエの先生に「まあ、サバの大群みたい」と言われて。それからずっと私たちの間では、「私たちはサバの大群~」と笑い話でした。