それに寿命があるからこそ、今日も生きていることに対する感謝の念が湧いてくるとも言えそうです。私に言わせれば、「不老なんて、人としての幸せとは別」という感じ。老いてあちこちに不具合が生じたとしても、姿勢や歩き方、生活習慣の問題に気づき、改善するきっかけになることだってあります。
気づいたら改善するよう努力する──。その延長線上にあるのは、「怠けていたら怠けていたなりの人生を生きることになるのだ」という学びではないでしょうか。人は老いから学び、精神的に成長していくことが使命なのかもしれません。
いつかは終わりが来るからこそ人生は美しいのだと思いたい。私たち世代は、出会いより別れのほうが多くなります。私だって、この人についていこうと決めて背中を追ってきた樹木希林さんが旅立ってしまい、寂しいですよ。でもこの世で出会えた喜びのほうへと視点をズラせば、感謝しかありません。私が先人に格別な思いを寄せるように、私の子孫が私のことを思ってくれるような生き方をしたいですね。
「今日から自分で生きていって」と母に通達され
どうせなら「チャーミングなおばあさん」になりたいなと思います。そのために必要なのは内面磨きでしょう。特に感情をコントロールすることが大事。感情に任せた言動は、相手の負の感情を煽り、結果的に自分を苦しめることになるという危険な行為でもありますよね。
もともと私は怒らない性分なのです。幼い頃に両親が離婚して、母に引き取られたものの、「今日から自分で生きていって」と通達されてしまい、兄のいた京都へ行って、保護者のないまま中学時代を送って……。そういう特殊な生い立ちなので、あまり人に期待していないのかな。
とにかく、誰かが助けてくれるなんて幻想はとっくの昔に消えているし、若い頃は私のことを理解してくれる人などいるはずがないと考えていました。心を閉ざすというのではなく、そういうものだと思っていたのです。期待しなければ、何があっても落胆しないし、キレることもないのです。