圧倒的なオーラを放つトップスターの存在、一糸乱れぬダンスや歌唱、壮大なスケールの舞台装置や豪華な衣裳でファンを魅了してやまない宝塚歌劇団。初の公演が大正3年(1914年)、今年で107年の歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」には「花・月・雪・星・宙」5つの組が存在します。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第4回は「バレエ一筋の私に、先生がくれたアドバイス」です

宝塚との出会いは、高校2年生

私の人生、「そーいえば、昔からそうだったなぁ」と思うことがあります。
「嫌いだ、苦手だ」と思っていたことすべてが、今につながっています。

宝塚。
これも「イヤだ」から始まりました。
今回は、「宝塚受験なんてイヤだ」を振り返って参りましょう。

私は新潟で生まれました。
小さい頃からバレエが大好きで、
寝ても覚めてもバレエ一筋。そんなバレエバカな子どもでした。

私が宝塚を知ったのは高校2年の時。
高校生になっても放課後はバレエ教室へ直行の日々。

新潟で、「寝ても覚めてもバレエ一筋」だった頃(写真提供◎越乃さん)


そんなある日、
「あなたは背も高いし、宝塚受験してみたらどう?」
バレエの先生から、突然そう言われました。

当時の私はバレエしか見えていません。
宝塚の「タ」の字もわからず なにそれ?といった具合。
これが私と宝塚との最初の出会いでした。

まずは舞台を観てみましょう、と新潟から新幹線に乗り、
東京で宝塚を観劇することに。

2階席だったでしょうか?
バレエの世界とは明らかにちがう、派手な舞台装置。
「なんだかすごいなー」
田舎の娘はただただ呆然です。