ブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「ロックダウン鬱と終わりの始まり」。ブレイディさんの住む英国で2021年1月から始まった3度目のロックダウンに「メンタルが落ちている」理由は?(絵=平松麻)

「仕事の書類と一緒に散歩していたんですか?」

今回のロックダウンはさすがにまずい。何がまずいって、これを書いている時点で2ヵ月半続いている3度目のロックダウンでは〔編集部注:結局7月19日に解除された〕に、これまでにないほどメンタルが落ちている。

昨秋のロックダウンは4週間限定だったのでトンネルの先に灯が見えていた。春から夏にかけてのときは延々と長引いたが、天気が良くて暖かく、どこかユートピアみたいだった。が、冬の英国なんてはっきり言って陰気がデフォルトだ。来る日も来る日も暗くて寒い。こうして気分の下げ幅に下方修正が入り続け、下げ止まりの兆しが一向に見えないのである(ああもう、一文に何回「下」という表現を使っているのだ、わたしは)。

日本の人々には本物のロックダウンのつらみは伝わりにくい。おそらく、わたしの担当編集者のみなさんも、原稿遅延の言い訳ぐらいにしか思ってないだろう。

しかし、まず、何が困るって、ふだんわたしは原稿の推敲という作業を図書館やカフェで行う。家は書く場所、推敲は外で、というシステムが出来上がっているのだ。ところが図書館もカフェも閉まっているので作業の場がない。調子が出ない。わたしはもうダメだダメだダメだ、と昼間っから酒を飲みたくなってしまう。

いい歳をしてこのような破壊的衝動を抱くのも愚かなので、公園のベンチで推敲を試みることにした。だが、めちゃくちゃ寒くて手がかじかんでしまい、手袋をしたらページがめくれなくなるし、と懊悩している間にも見回りのポリスが近づいてきて、

「ここで何をしているのですか」

と聞いてくる。そういえば、昨夏のロックダウンでは、公園にじっと座っていただけで罰金を科された人たちがいたということを思い出し、

「日光浴ではありません」

と、とっさに答えた。