土地の悲しみみたいなものが見えてきた
そこで道了堂とはどういう場所か、また、鑓水あたりの古い葬送習慣や昭和50年当時の状況などを調べ始めました。すると、当時大手デベロッパーがどんどん宅地開発を進め、新興住宅地と古くから住んでいる方との暮らし方の違いがもとで、軋轢が生じたことなどもわかってくる。
古いものが駆逐されていく土地の悲しみみたいなものも見えてきました。そういうものを織り込みながら書くと、読んだ人は昭和50年頃のその近辺の風景が思い浮かぶのではないか。そこで、ルポルタージュの手法で書き始めたのです。
摩訶不思議なものに惹かれるようになったのは、家庭環境も影響しているかもしれません。父は中国文学の研究者で、専門は六朝時代など古い時代。その時代に口伝されていた怪異譚を集めた『聊斎志異(りょうさいしい)』なども研究対象でした。
父は、日本の民話や民俗と中国の古典や説話文学との関連性についても研究していました。たとえば東北地方で信仰されている家の神「おしらさま」の原型は中国にある、と仮説を立てて調査をしたり。中学2年の時、父のフィールドワークにつきあって二人で旅行をしたのですが、河童伝説などの伝承を詳しく説明してくれるのが、すごく面白かったんです。
父が購読していた山田書院『傳説と奇談』シリーズも、片っ端から読んでいました。全国の民話や伝承もあれば、「四谷怪談の謎を探る」みたいな記事もあったり、猟奇的な事件の記録もある。そういうものを好んで読む子どもでした。
20代後半でフリーライターになると、ルポ記事を書くようになって。インタビューや現地調査、資料調べをもとにして書く習慣がついたのはこの頃。30代後半で出産してから作家専業になり、40歳くらいのとき縁あって怪談実話を書くようになりました。