怪談は「生きている」

そういった不思議な現象がなぜ起きるのか、正直、私にはよくわかりません。親戚にお寺もあるので多少は仏教のことも知っているつもりですし、神道についても調べたりしています。でも、神道でいう幽世(かくりよ)など、いわゆる「あの世」を信じ込んでいるわけではありません。「そういうものがあるとされている」と知識として捉えています。

かと言って否定もせずに、どうしても説明のつかない「不思議なこと」を実際に目の当たりにした時には、もしかすると「あの世」と「この世」の境には、本当に三途の川みたいなものが横たわっているのかもしれないと、柔軟に考えることにしています。

境界線の向こうから、亡くなった方が、生きている私たちに何かを呼び掛けてきたり、かかわろうとすることもあるかもしれない。あるいは、こちらからあちらへ踏み込んでしまうこともあるでしょう。私がお会いした、赤ちゃんを失ったお母さんのように、悲しみのあまり呼び寄せてしまうこともあるのでしょう。

東北の震災後も、被災地で数々の怪談が生まれています。大変悲しい境遇に置かれた方が、心を快復する過程で、自分の亡くなった家族や恋人、友人を強く思い続ける。すると、そういった方々の幽霊が現れるんです。

私はそういう逸話を「怖い」とは感じません。関心と共感をもって傾聴し、良き観察者でいようと努めているせいでしょうか。

たぶん誰しも、ちょっとつじつまが合わない、不思議な体験をされることはあると思います。ただ、ふつうは正常性バイアスを働かせて、「気のせい」「お化けなんているはずない」と思おうとする。

それをあえて素直に認めて言葉にしていくと、怪談が浮かび上がってくるのです。亡くなった方も、今の社会と一緒に生きている。そういう意味において、怪談は「生きている」と感じています。