そもそもシャーロック・ホームズとは何者なのか

シャーロック・ホームズという名前こそ有名だが、では彼が何者なのか、正確に知らない人もいるだろう。探偵の代名詞となっているので、探偵だということだけは知っているかもしれないが、先に述べたように実在の人物だと思っている人もいるだろう。
シャーロック・ホームズは、英国の作家アーサー・コナン・ドイルが小説の中で生み出したキャラクター、創作上の存在である。

1887年発表の長篇『緋色の研究』で初登場し、最終的に長篇4冊、短篇集5冊(短篇56作)が書かれた。

最初に書かれたふたつの長篇『緋色の研究』と『四つの署名』はさほどの話題とならなかったが、〈ストランド・マガジン〉にて一話読みきりの連作短篇形式での連載が始まると、爆発的な大人気となった。この人気は、〈ストランド・マガジン〉の売上を伸ばす役割を、大いに果たしたのである。

ホームズは警察や探偵社には所属しない、独立独歩の私立探偵である。依頼を受けて事件を調査する「諮問探偵(コンサルティング・ディテクティヴ)」だ。

住所はロンドンのベイカー街221B。シャーロック・ホームズのファンから、未だにこの住所宛てに手紙が送られてくるという。

ホームズの相棒は、医者のジョン・H・ワトスン博士。ホームズと行動を共にするだけでなく、記録係も務める。児童書などでは「助手」と訳している場合もあるが、対等な「パートナー」であり、日本語にするなら「相棒」である。

コナン・ドイルは当初は医者をしながら執筆する兼業作家だったが、〈ストランド・マガジン〉での連載を始めてから専業作家となる。だがほかに書きたいものがあったため、「最後の事件」で一旦はホームズのシリーズを終結させた。しかし編集者や読者からの要望はいつまでも続き、結局はホームズを復活させ、最終的にコナン・ドイルはこの世を去る少し前までホームズを書き続けたのである。

著者、コナン・ドイルの心霊写真。医師・作家活動のほか、サッカーやクリケット、スキーなどでも活躍。第一次世界大戦では愛国心から55歳で地方義勇軍に志願した。選挙に出たり犯罪捜査も行ったりしたが、何よりも傾倒したのが心霊学だったという

コナン・ドイルの死後もシャーロック・ホームズの人気は衰えず、21世紀まで読み継がれてきた。日本語はもちろん、世界中のさまざまな言語にも翻訳された。ホームズのイメージは、探偵そのもののアイコンとして世の中に流布している。

シャーロック・ホームズは一般に広く知られているのみならず、深くマニアックに愛好し研究する人々をも生んでいる。