「通りがかりにお店の外から、『このあいだはありがとう、すっかりよくなったわ!』なんて声をかけてくださると、嬉しくなります。」

父の影響で女子薬学校に入学

私は1923(大正12)年、4人姉妹の長女として生まれました。薬剤師だった父は、その年に東京・大塚で「ヒルマ安心堂薬局」を創業。私が子どもの頃はまだ平和な時代で、月に一度は当時開通したばかりの地下鉄に乗って、家族で日本橋三越へお買い物に行くのが楽しみでした。本館の中央ホールに今もある、パイプオルガンの演奏会を聴いたりもしましたね。

長野出身の父は、故郷から出てきた、尋常小学校を卒業したばかりの子を小僧さんとして薬局で雇いながら、夜学に通わせていました。そこから師範学校に進んで先生になった人が、戦後に父を訪ねてお礼にみえたのも覚えています。

そんなふうに教育を大切にする父の影響もあって、私は明治期に日本初の女子薬学校として誕生した東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)に進みました。戦争が始まると、以前は2人1組で使っていた実験の試薬を4人1組で使うなど、だんだん物資が乏しくなってきたのを肌で感じましたね。

それでも20歳前後の女の子たちですから(笑)、「今日はどこそこの店で1時からあんみつを出すらしいわよ」なんて情報をもとに、学校のあった笹塚から新宿まで出かけて行ったりもしたものです。