東の空が真っ赤に光っているのが見えた東京大空襲

卒業したのは、終戦の前の年。薬剤師の資格を取って、都内にある製薬会社に就職しました。その後、薬剤師の夫と結婚したのですが、ほどなく夫は召集されて北海道へ行ってしまいました。

東京にもB29が何度も偵察飛行に来るようになり、「東京は危ない」という父の勧めで会社を辞め、父の実家近くに疎開したんです。父も、薬が入荷しなくなり、お店を続けていけなくなったのだと思います。

長野に着いたちょうど2日後の夜、東の空が真っ赤に光っているのが見えました。音も何も聞こえないから、何が起きているかわかりませんでしたが、後になってそれが45年4月13日の東京大空襲だったと知ったのです。

8月に終戦を迎え、夫も無事に復員。しばらく自給自足の生活をしながら長野にいたのですが、父と「そろそろ東京へ出てお店を再開しよう」ということで、47年に東京へ戻りました。

でも大塚にあった自宅と薬局はきれいさっぱり焼けていて。今の人には信じられないかもしれませんが、少し高台に上がれば東京湾が見えるくらい、東京は焼け野原だったのですよ。

周囲もまだバラックだらけの北池袋に土地を求めて始めたのが、現在もあるヒルマ薬局の本店です。近くには巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)があって、その診療所に薬を納入していたので、父と一緒に何度か中へも入りました。2人1組で手錠をかけられ、監視付きで歩く人たちの姿を見て、自分とそう年も変わらないのに、戦場でいったい何をしたのかしらと考え込んだこともありました。

池袋の店を一緒に切り盛りしていた夫は、26年前に他界。小豆沢の支店は同じく薬剤師になった長男が93年に始めたのですが、開業した直後に脳溢血で倒れて寝たきりになってしまいました。でも、息子が建てた新しい店舗をなくすわけにはいかない。

そこで池袋の本店を長男の妻である公子さんに任せ、私は70歳の時から小豆沢の支店を守ることになりました。当時高校生と中学生だった孫たちも今は、上の孫は池袋、下の孫の康二郎が小豆沢の店を、それぞれ支えてくれています。