今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『貝に続く場所にて』(石沢麻依著/講談社)。評者は書評家の豊崎由美さんです。

「記憶」で語られていく技巧をこらした物語


舞台になっているのは2020年。ドイツのゲッティンゲンの大学で「中世以降のドイツにおける十四救難聖人の図像の発展と信仰問題」の研究をしている〈私〉のもとに一人の男性が訪ねてくるところから、石沢麻依の第165回芥川賞受賞作『貝に続く場所にて』の物語は始まる。

その男性とは〈私〉が仙台にいた頃、同じ大学の研究室で共に西洋美術史を専攻していた野宮。しかし、彼は東日本大震災の時に実家がある石巻で行方不明になっており、いまだに遺体が発見されていない。にもかかわらず、野宮は〈私〉のみならず他の人にも見える姿でゲッティンゲンにやってきたのだ。

その不思議な出来事と並行して物語られるのが、ゲッティンゲンに起きる怪異。この街には水星から海王星までの模型が順に設置されている「惑星の小径」と呼ばれる通りがあるのだけれど、2006年、準惑星と位置づけられた冥王星だけこの惑星のカテゴリーからはずされ、別の場所に置かれるようになっていた。ところが、最近、海王星の先、元あった場所で冥王星のブロンズ板が発見されるようになったというのだ。

この小説は、しかし、野宮がなぜ〈私〉のもとにやってきたのか、幽霊なのか何なのか、冥王星のブロンズ板はどうして元の場所に戻ろうとしているのかという、読者が関心を示して当然の謎には答えようとしない。

〈私〉のルームメイトのアガータと、その飼い犬で森の中から人々の記憶の中の持ち物を掘り出してくるトリュフ犬。木曜日の午後の時間を人々のために開放し、大勢の人の悩みや記憶の物語に耳を傾け、この街に星座のような人間関係を作っている女性ウルスラ。野宮が時空を超えて知己を得た、戦前のゲッティンゲンに4ヵ月間滞在したことがある物理学者の寺田寅彦。〈私〉の周りをめぐるさまざまな人物が登場するこの物語で語られていくのは「記憶」だ。

仙台で被災した自分にも震災時の身体的、感覚的な経験はある。でも、海や津波とは距離があった。自分がいなかった場所なのに想像することがやめられない。いなかった場所、しなかった経験なのに、想像することがやめられない自分がうしろめたい。

そんな、東日本大震災にまつわる〈私〉の想念と記憶。ドイツの大都市をつなぐ輸送の要だったがゆえに、幾度もの空襲に遭ったゲッティンゲンにおける戦争の爪痕と記憶。登場人物らが大切にしている、亡くした人たちへの思いと記憶。

生者と死者と土地の記憶の物語を、平面的にではなく複数の時空の層を重ねながら立体的に描いていく。死者になれない行方不明者である野宮と、惑星ではなくなってしまった準惑星の冥王星を重ね合わせたり、絵画における遠近法の消失点に東日本大震災における自分の意識を投影したり、夏目漱石作品への目配せをそこここに仕掛けたりと、文学的な技巧をこらして、記憶のメカニズムを多角的に描いていく。これが初めて書いた小説とは思えない、非常にテクニカルな作品になっているのだ。先々が楽しみな新人の登場だ。