出っ歯がチャーム・ポイントに

こういう手だては、現代の歴史小説作家も、しばしばこうじてきた。たとえば、司馬遼太郎の『義経』に、その典型例がある。作家は奥州の平泉で、少年義経にある少女とであわせた。そして、義経の「反っ歯」を見た娘に、「可愛い」と感じさせている(文春文庫 1977年)。出っ歯でも魅力があるという線で、ことをおさめていた。

宮尾登美子の『宮尾本 平家物語4 玄武之巻』にも、似たような処理がある。義経は木會義仲をうつため、1184年に入京した。そんな義経にとびかう街の評判を、宮尾はこうあらわす。「ちょっと反っ歯でおすわな。愛嬌あってかいらしな」、と(文春文庫 2009年)。

出っ歯がチャーム・ポイントになっている。こういう肯定的な出っ歯評の源流は、『弁慶物語』にある。ただ、『弁慶物語』以後、そこを前むきにえがいた文芸は、まず見ない。現代の歴史作家がこころみだすまで、まったく出現しなかった。少なくとも、私の見わたした範囲では。

『弁慶物語』よりあとの文芸で多数をしめるのは、少年義経の美貌説である。『平家物語』の出っ歯説からは、目をそむける。時代が下るにしたがい、そんな傾向は強くなる。

「牛若丸浄瑠璃姫之館忍図」楊洲周延 1886年 
出典:国立国会図書館デジタルセレクション

『浄瑠璃御前物語』は15世紀の御伽草子である。義経の美少年ぶりを、高らかにうたっている。たとえば、「御曹司の花の姿」に女たちのうっとりする場面がある。「牛若君と申は、そも三国一の少人とうけ給り候」という記述もある(『新日本古典文学大系 90』1999年)。三国一、つまり朝鮮や中国、あるいはインドまでふくめても、ならびたつ者はいない。世界一の美少年だというのである。