出っ歯のぐあいも、「少しそり出でて」
室町時代の御伽草子に、『弁慶物語』という読み物がある。15世紀の前半にはできていたことが、わかっている。前にも言及したが、もういちどふりかえる。
この御伽草子は弁慶と義経を、まず京都の北野天満宮でであわせている。さらに、弁慶がいだいた初対面の印象を、こうあらわした。
「弁慶、又思ふやう、こゝなる男の尋常に気高さよ。これや此音に聞く牛若殿にてあるらん……御曹子の風情を見ければ……板歯(むかば)少しそり出でて、色白くて気高くこそましゝけれ」(『新日本古典文学大系 55』1992年)
この独白は、牛若時代の様子をとらえている。にもかかわらず、「板歯少しそり出でて」とある。少し出っ歯だったという。出っ歯説を、30歳前の時期におくらせ設定した『義経記』とは、あつかいがちがう。幸若舞とも、かさならない。『弁慶物語』は、出っ歯という顔相を、まだ若い「牛若殿」にあてていた。
しかし、醜面だったとは、書いていない。「気高」く見えると、容姿の全体像はほめている。出っ歯のぐあいも、「少しそり出でて」としるすにとどめていた。
『平家物語』の記述を、くりかえす。この軍記物は義経の出っ歯ぶりを、こうあらわした。「むかばのことにさし出でて、しるかんなるぞ」、と(岩波文庫 1999年)。前歯がとくにとびだしており、はっきりわかるというのである。
出っ歯がひどい。先行する『平家物語』のそんな書きっぷりを、『弁慶物語』はうすめている。「少しそり出」ているというていどに、おさめていた。
『弁慶物語』は室町時代の文芸である。若年の義経を美少年にしてしまう時流は、とうぜんおよんでいた。だが、物語の書き手は、出っ歯という『平家物語』の義経評も、知っている。美少年として登場させたいが、出っ歯説もないがしろにはできない。書き手は、その両方におりあいをつけようとする。
歯は少しでているが、けだかくもあった。これは、出っ歯説と美少年説のあいだで妥協をはかった表記に、ほかならない。『義経記』などは、両説を少年時代と中年期にわけて、展開した。それを『弁慶物語』は、牛若時代の叙述部分に並存させ、両立をはかったのである。