出っ歯説を、わざわざ書きたてた江戸時代の史籍

じつは、江戸時代の公式的な歴史書も、しばしば義経の容姿に言及した。なかには、文芸とことなり、出っ歯説を、わざわざ書きたてた史籍もある。

たとえば、『本朝通鑑(つがん)』である。これは、林羅山の草稿に、息子の林鵞峯が手をいれ、1670年に成立した。江戸幕府が林家に命じて編纂させた歴史書である。

その続編、『続本朝通鑑』の第75巻に、義経の記録がのっている。義経を知る者は、こう言っていたという形で、掲載されていた。すなわち、「長面短身色白反歯(ソレルハアリ)」、と(『本朝通鑑 第九』1919年)。

出っ歯であったという。こういう話を、わざわざ公的な歴史書に、書きとめる必要はあったのか。その点に、疑問をいだかないわけではない。しかし、とにかく出っ歯説も、歴史書にはのこっていた。江戸期になくなったわけでは、けっしてない。

水戸藩の史書である『大日本史』にも、同じような記述はある。巻187の列伝4に、それはのっている。「躯幹短小白哲反歯……源平盛衰記、平家物語」、と(『大日本史』1929年)。『平家物語』や『源平盛衰記』から、出っ歯説がみちびきだされている。

なお、この史書は水戸光圀(みつくに)の命令で、1657年に編纂がはじまった。完成したのは、ようやく20世紀にはいってから。1906年のことである。たいへん大部な著作だが、ここにも出っ歯説は採用されていた。

いっぱんに、学術的な歴史研究は、歴史的な人物の容姿を論じない。美形か否かにこだわることは、まれである。それでも、『本朝通鑑』や『大日本史』は、義経のルックスを書ききった。『平家物語』などは、出っ歯説をとっているのだ、と。