義経の美貌をひきあいに出す曲亭馬琴
馬琴には、『近世説美少年録』という読本もある。続編の『新局玉石童子訓』もふくめ、1829年から1848年にかけて出版された。とくに、義経が登場する作品ではない。だが、作中のあちらこちらで、義経の美貌をひきあいにだしている。
たとえば、その続編にえがかれた剣術競技の場面が、そうである(第41回)。試合の会場では、ふたりの美剣士が対決する。東側からは悪役の末朱之介晴賢、そして西側からは善玉の大江杜四郎が、あらわれた。両者を、とくにその美貌を、馬琴はそれぞれつぎのように表現する。
「一箇(ひとり)は是白面の美少年……女子にして見まほしき、昔鞍馬の御曹司も、かくやと思ふ可(ばかり)なるに……」(『新編日本古典文学全集 85』2001年)
「容止(かほばせ)の馨(にほ)やかなる……『是なん牛若御曹司の後身(のちのみ)としもいふべけれ』とて、心ある者は評しける」(同前)
あの人は牛若だ。いや、この人こそが牛若である。そんな想いが、また声も会場ではわきたったという。牛若は、若くて美しい武人を代表する、歴史上の象徴的な人物になっている。また、読者もこの牛若像をうけいれるはずだと、馬琴は考えていた。
ついでに、代表作の『南総里見八犬伝』(1814ー1841年)からもひいておく。その第79回で、馬琴は八犬士のひとり、犬坂毛野に物乞いへ身をやつさせた。だが、どれほどみすぼらしくよそおっても、美少年ぶりは表へでてしまう。
その点を、路上の仲間はいぶかしがる。どうして、お前は「宿なし」になったのか。「鞍馬で遮那王、僧正坊でも弁慶でも、視紊(みまが)ふ縹致(きりやう)をもちながら……」(岩波文庫 1990年)。鞍馬の天狗や弁慶なら、遮那王と見まちがうほどの容姿が、お前にはあるのに。そうたずねている。
これ以上の引用はひかえる。とにかく、義経をとりあげる江戸文芸は、彼を圧倒的な美貌の人にする。美少年を作中へ登場させるさいには、義経のようなという比喩が、ままもちいられた。出っ歯うんぬんという否定的な文句を、江戸文芸で見かけることは、ほとんどない。