「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまった――。1989年に刊行された『残像に口紅を』は、章が進むごとに50音がひとつずつ消える実験的SF小説。使える言葉が減っていく世界を生きる小説家の姿を描き大ベストセラーとなったが、30年の年月を経た今、またも脚光を浴びている。きっかけはTikTok(ショートムービーを投稿する動画SNS)。人気のTikTokerけんごさんが作品の魅力を語ったところ、たちまち若い世代に広まり、8万5000部の重版につながった。筒井さん自身に創作秘話を聞いた
ワープロがないと書けない作品
何年か前にもテレビ番組でカズレーザー君が紹介してくれて、あのときは10万部くらい刷ったんじゃないかな。いずれにせよ時代を超えて読み継がれるというのは作者冥利に尽きます。10代や20代の人たちは本を読まないなんて言うけれど、何を読めばいいのかわからないだけなのかもしれませんね。「これが面白い!」と影響力のある人が言えば、みんなアマゾンで買って読むんですから。
コロナによる外出自粛で生活が一変したことも、無関係ではない気がします。暇つぶしに本でも読んでみるか、と思った人が多かったのなら、コロナも悪いことばかりではない。「本は面白い」という気づきは天からのギフトですよ。ある一文に勇気を与えられたり、迷路から抜け出すヒントを得たり、自殺を思い留まる人もいる。それが本なのです。
『残像に口紅を』は、発表した当時も斬新な作品だと言われたけれど、別に「文字落とし」は僕がはじめたことじゃありません。海外でも日本でも、古典にある手法です。
ただ、担当編集者に構想を伝えるのは至難の業だった記憶がありますね。新宿のホテルで説明したことは鮮明に覚えているのだけれど。もっとも彼は、僕が冒険的なことばかりする作家と知っていたから、仰天するという感じではなかったと思いますよ。