「(父の指導は)決して押し付けがましくなく、本人の意思をすごく尊重してくれるし、タイミングよく言葉をかけてくれる。それは一人一人を注意深く観察しているからだと思います。」
東京五輪で女子ウエイトリフティング(重量挙げ)49kg級に出場した三宅宏実さん(35歳)。2004年のアテネ以来5大会連続で出場となる今大会は「21年の集大成」として臨んだが、記録なしという結果に終わった。試合後、涙を浮かべながらも競技人生を「満足」と振り返った三宅さん。その真意は? 後編は、初めて出場したアテネ五輪の思い出から――(構成=吉井妙子 撮影=大河内禎)

ある日「もう嫌だ」と家出して

ーー初めて出場した04年のアテネ五輪では9位。06年の世界選手権で銅メダルを獲得し、北京ではメダルを期待されたが6位(のちに上位選手のドーピング発覚により4位に)。そしてロンドン五輪でついに銀メダルを獲得。その後、椎間板ヘルニアに悩まされ、ブロック注射を打ちながら出場したリオデジャネイロ五輪では、銅メダルを獲得した。


アテネ五輪の時は、テレビで見ていた舞台に自分が立っているという喜びでいっぱいでしたね。ただ試合が終わってみると、五輪の本当の喜びは、メダルを獲って初めて味わえるのだということを実感しました。

北京にはメダルを目標に出場したんですけど、6位。五輪の厳しさを味わったし、今までの練習、考え方ではだめだなと再認識した大会でした。

それまで私は父が作ってくれた練習メニューに対し、文句をつけてばかり。父は長いスパンで考えてくれているのですが、私は目先の結果が欲しかった。

そんなフラストレーションがたまって、ある日ついに「もう嫌だ」と家出したんです。遅れてきた反抗期かも(笑)。ただ、黙って家を出ると捜索願が出されそうだったので、母には「しばらく帰らない」と伝え、父には置手紙を書き、沖縄に向かいました。