母が建てた北海道の家
20代後半、楽器ひとつ抱えて東京から北海道へやってきたヴィオラ奏者の母は、40代半ばで家を建てた。母は結局東京へ戻ることもなく、2年前に病気を患って入院生活を始めるまではこの家に暮らし続け、今は妹がひとりで暮らしている。
オーケストラの仲間たちが時々集まってカルテットやクインテットを演奏するスペースが欲しくて、母自身が設計に携わったその家には広い音楽室があり、若い頃に嗜んでいたお茶をたてるための茶室もあったが、なぜか家族が団欒できるような居間は作られなかった。
杉の木材を使ったエントランスは高い吹き抜けになっており、外観は南チロルにあるようなドイツ壁の洋風建築で、音楽室の暖炉から赤茶色の煉瓦の煙突が伸びていた。屋根には北海道の冬をまったく考慮できていない欧州風の焦茶色の瓦があしらわれ、窓にはやはり欧州風の鎧戸が取り付けられていた。
どこからどう見ても日本人が暮らしているようには見えないその家が建った時、周辺ではかなり話題になっていたらしい。外国人の一家でもやってくるのかと思っていたら、引っ越してきたのは音楽家の母子家庭だったわけだから、それも含めて地域の住民の好奇の的となっていたようだ。
築年数が40年を過ぎ、今まで2度ほどリフォームをしたが、母がそこに暮らさなくなってしまった今、広い音楽室には使われていないピアノや楽器や膨大な量の楽譜が床に積まれた状態で放置され、2階や屋根裏部屋は半分倉庫と化している。
そもそも母が自分仕様に建てた家なわけだから、家の主でなければ使いこなせない空間がとにかく広すぎる。掃除も大変だし、冬の間は家周りの除雪も半端ない。屋根の瓦も毎年落下してきて危険なので、数年前に普通のトタン屋根に取り替えた。