三島由紀夫さんとの出会いと別れ

創作の出発は5歳の時。その頃描いた宮本武蔵の絵も展示しています。それから数えると、80年分展示されていることになるのかな。間もなく一生が終わると思うけど、改めて自分の作品を見て、「短い一生だなぁ」という感じがしますね。

自分のやるべきことは、5歳の処女作にすべて集約されているようにも感じます。そのあとの作品は、進歩しているのではなく、変化あるのみです。人間というのは、そんなに進歩するものではないんでしょうね。そもそも何千年も前の人と今の人間は、そう変わらない。文明が進歩しているから自分も進歩しているように思っているけれど、そんなことはないですね。

グラフィックの分野で仕事を始めたのは1960年代です。唐十郎さんの「状況劇場」や、寺山修司さんの「天井桟敷」のポスターを描いていました。1銭ももらえないけど(笑)、夢中でしたね。かえって思う存分、やりたいことができた気がします。

当時は、若者が初めて自分の生活のなかにカルチャーを取り入れた時期でもあり、結果的にわれわれがそれを提供することになった。時代とのコラボレーションという感じでした。今の若い人たちは、あの時代の空気を、ポスターを通して感じてくれるみたいです。

三島由紀夫さんと出会ったのは30歳くらいの頃で、交友期間は亡くなるまでの5年弱くらい。この出会いが、その後の僕の作品にいろいろな影響を与えた気もします。三島さんと出会っていなかったら、今の僕はいないのかもしれません。

最後に話したのは、亡くなる3日前です。普通に話していた人が、突然、あんな形で世界から消えてしまったわけですから、ものすごく大きな衝撃を受けました。