オノ・ヨーコさんがアトリエに来てタマの絵を見て
もともと自分のためだけに描いて、発表するつもりのなかった作品もあります。15年飼っていた猫、タマが死んだ日の朝、死体を見ながら2枚の絵を描きました。それをきっかけに、僕が撮っていたタマの写真を参考にして、2、3年かけて91点の絵を描いたんです。絵を描くと、タマと交流できる。そのために描いていたので、自分ではアート作品とは思っていませんでした。
ところがオノ・ヨーコさんがアトリエに来てタマの絵を見て、「頭で考えたり、売るための作品ではなく、純粋にその対象を思って、愛を描いている。これこそアートだ」と言ってくれて。展覧会でもタマへのレクイエム(鎮魂歌)とした展示コーナーでうるうるしたという人が多いので、僕も驚いています。
今までを振り返ると、なにか自分のなかのとても強烈な体験が絵として現れている。それは自然と絵に現れるわけで、いちいち頭で考えて意味づけた絵ではない。僕であって僕でないというか、自分のなかにいる、僕の知らない他人が描いているような気もします。
人間が完成した形でこの世に生まれてくるのだったら、何も生きていく必要はないんです。未完成で生まれてくるから、努力したり、足掻きもする。僕も未完成の魂で生まれて、あくせく絵を描いてきたわけだけど、これからも変化し続けながら、たぶん未完のまま死んでいくのでしょうね。それでいいんだと思います。
コロナ下ではアトリエに人が訪れる機会も失われ、僕は寝ているか、絵を描くかしかなかった。それは孤独な時間でした。でも、その孤独のおかげで、いちばん働いた若い頃よりもたくさん絵を描いたかもしれない。こうして自分のなかの他人と遊んでいると、退屈なんてまるでしないんです。
「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展示風景、東京都現代美術館、2021年 撮影:山本倫子
※『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』は、横尾さんの芸術活動の全貌を俯瞰できる大規模展覧会。「越境するグラフィック」「滝のインスタレーション」「Y字路にて」「タマへのレクイエム」などのテーマで構成。東京都現代美術館にて、10月17日まで(現在は会期終了)