母は何十年か後の自分の姿

カータン うちの母も、プライドが高く、過激で常にカッカしていたのが、今は穏やか期というのでしょうか、仏の域です。認知症は進んで、いろいろわからなくなってきてはいますけどね。まあ、どんなに高性能の車でも、80年も走っていればガタがくる。自分の何十年か後の姿だなと思いながら、母を見ています。

村井 「歳をとるとはこういうことなんだ」と受け入れ、明るく挑んでいけばいいんじゃないでしょうか。

「歳をとるとはこういうことなんだ」 と受け入れ、明るく挑んでいけばいい(村井さん)

カータン そうですね。

村井 このあいだ、地域包括支援センターの方に言われました。「村井さん、ここからが長いですよ。まだまだ序の口です」。そうか序の口か。この先もまだあるのだから、リラックスしていこうと。

カータン 父は特養のお世話になり、母についてはいろいろな人の手を借りて、私は週に1、2回顔を出すという介護体制。長丁場になっても息切れはしないだろうという気はしています。

村井 自分の生活を崩壊させてはいけませんものね。

カータン 私がいつも考えるのは、もし自分が歳をとった時、娘が自分を犠牲にして世話をしてくれたらどうだろうということ。私は絶対に嬉しくない。ただ人間、歳をとると、だんだん頼りたくなってくるんですね。うちの親にしてもそうだったし。だから自分が元気なうちに、娘たちには今の私の思いを伝えておきたい。ブログに書くのは、そのためでもあるんです。

村井 私は知り合いの編集者全員に「おかしなことを書くようになったらちゃんと言ってね」と伝えています。

カータン その時まで、面白い作品をたくさん書いてください。

村井 カータンさんの『親のトリセツ』の続編も期待しています!

前編 「50代で語る認知症介護『実母にできなかった後悔があるから、義母には最後まで付き添いたい」」はこちら