由緒ある卍記号が国際的に使えなくなるまで
紀元前3世紀にインドを統一して仏教に帰依したアショーカ王は、インド各地に記念柱を建てた。その柱頭を飾っていた獅子の像が出土しているが、そこにも法輪が彫られている。スポークが32本もある見事な車輪だ。
ちなみに獅子―仏典の書き方では師子―もまた釈迦の象徴である(釈迦が説法することを「師子吼(ししく)する<ライオンが吠える>」と言う)。
法輪と並んで釈迦のメタファーとなったのは、悟りの瞑想をしたときの菩提樹(ピッパラ樹、日本の菩提樹と異なる)や、釈迦の死後に骨(仏舎利<ぶっしゃり> )を納めて築いた土饅頭型の塔(仏塔)であった(図4)。
なお、日本では卍(まんじ、万字)が仏教寺院を表す地図記号となっている。これもまた由緒あるもので、吉祥を意味する記号として仏足石(ぶっそくせき)や仏像などに印された歴史がある。
インドの言語で「スワスティカ」と呼ばれる卍はヒンドゥー教でも用いられるばかりでなく、世界中で同種の図形が様々な霊的シンボルとして用いられてきた。
しかし19世紀に古代アーリア人のシンボルだとの説が信じられ、そのためアーリア人種主義を奉じるナチス党のマークとして採用された(斜めの逆卍)。
これ以降、紛らわしさを回避するために、卍形のシンボルを仏教の印として国際的に使用するわけにはいかなくなった。