本牧亭を切り盛りしていた石井英子さん(『本牧亭の灯は消えず 席亭・石井英子一代記』より)

「えっ、講談で食べられるの!?」

琴調 平成2年1月10日に休場することが前年に決まったので、「さよなら」をしたいと、すべての講釈師が本牧亭さんの興行とは別に独演会をやった。俺も自分の会で「出世の春駒」と「夜もすがら検校(けんぎょう)」をやりました。「夜もすがら」は好きな話で、年を取ってからやるつもりだった。本当はまだ早い、まだできないけど、本牧の建物がなくなるのなら、「やって終わりたい」って思ったんだ。

伯山 本の中にも書いてありますけど、休場にいたるまで、講談バスツアーとか、石井英子席亭がいろいろな企画をしています。そこまでやって、さらに安藤鶴夫さんの直木賞受賞作『巷談本牧亭』を読んだお客さんが来ても、また離れていっちゃうっていう。受難の時代を42年も守ってきた。

『本牧亭の灯は消えず 席亭・石井英子一代記』石井英子・著、中公文庫

琴調 おかみさんも清水さんも経営ということ考えず、どうしたら講談の寄席を続けられるかしか考えてなかった。普通、どうやってやめようって考えるよね。(笑)

伯山 「どうしたら講談に客が入るか」って、ずっと悩んでいらして。

琴調 芸人より悩んでいた(笑)。もっと前だけど、五代目の一龍斎貞丈先生とか一龍斎貞鳳先生が、洋服でやったり歌手と共演したり、新しいこともいろいろやってるんですよ。うちの師匠も舞台にピアノを持ち出して、ベートーベンの「月光」を講談でやった。

伯山 うちの大師匠(二代目神田山陽)も、女流講釈師のお弟子さんと三人でやったりとか、立ち上がっちゃったりとか、いろいろ。

琴調 田辺一鶴先生がね、力が入ると高座を下りて、客席をまわって歩き出すの。もう一所懸命。

伯山 客席は死ぬほど重たくて、何の反応もないのに下りて行っちゃう。

琴調 普通めげるんだけど、一鶴先生はめげなかったね。

伯山 若い人はみんな、どうやって食べてたんですか?

琴調 ほんと不思議だよね。俺と(宝井)琴星兄貴が一緒に真打ちになったとき、口上書の絵を先代の桂小南師匠に描いていただくことになって、ご挨拶に伺ったの。「真打ちになるの。で、仕事は何してんの?」「講談です」「それはわかってるけど、仕事は?」「いやあの、講談ですけど」「会社とかに勤めてないの?」「はい」―「えっ、講談で食べられるの!?」って、小南師匠に驚かれた(笑)。そんな感じだったんだろうね。