右から、四代目宝井琴調さん、六代目神田伯山さん(撮影:本社写真部)
日本最後の講談定席として惜しまれつつ平成2年(1990年)に休場した東京・上野の本牧亭。その席亭を切り盛りしていた「おかみさん」である石井英子さん(1910ー1998)は奮闘の記録を『本牧亭の灯は消えず 席亭・石井英子一代記』に残しました。今回、本書の文庫化を機に、当時の空気を知る四代目宝井琴調さん、そして「いつか講釈場を作りたい」という夢を持つ六代目神田伯山さんが語り合いました。石井英子さんの娘・清水孝子さん(本牧亭三代目席亭)を交えて進む2人の講談師の対談は、笑いあり、学びありでーー。(構成=長井好弘 撮影=本社写真部)

都内で一番きれいな、講釈を読むための場所

伯山 『本牧亭の灯は消えず』は、42年間、本牧亭という講談席の席亭を務められた石井英子さんの一代記です。本牧亭がなくなったのが平成2年。そのあとに出た本ですね。

清水 平成3年だったと思います。

伯山 琴調先生は本牧亭に間に合っていますが、私は世代的に間に合っていないんですよ。琴調先生、どうでしたか?

琴調 そりゃあ幸せですよ。あんないい思いをさせてもらって。楽屋に行って、お茶を入れて、高座に釈台を置けば、前座の仕事は終わりなんだ。今は、いろんな場所を借りちゃあ、掃除して高座を作って……。そんな若い人たちの姿を見ると、申し訳ないなと思うよ。

伯山 昭和47年に建て替えた後の本牧亭の高座は、総檜(そうひのき)づくりだったんですよね。

琴調 前座のころ、お客さんがほとんどいないのに、学生さんが何人か来た。でも、高座に集中していないんだよ。じーっと……(まわりを見回す)。何だろうと思ったら、早稲田の建築科の先生が生徒を連れて来て「これが理想的な寄席だ」って見せていたの。

伯山 はははは。講談は聴かずに。

琴調 俺たちを聴きに来たんじゃなくて、建物を見に来た。

伯山 採算度外視で建てた感じですよね。

琴調 清水基嘉(もとよし)社長が美意識の塊みたいな方だったから。セコな材料で作りたくないわけよ。

伯山 建て替える前の本牧亭に、うちの師匠の神田松鯉(三代目)は間に合っているんですよ。松鯉は「本牧亭が新しくなったとき、その美しさが誇り高く、嬉しくてしょうがなかった」って言っていました。

琴調 そうだろうねえ。都内で一番きれいで、それが講釈をやるための小屋なんだもの。

伯山 琴調先生はそこへ入門した。めちゃくちゃいい時代ですよね。

琴調 でも、それしか知らないから、こんなもんだと思ってた。それで一日のお客さんは5、6人なの。(笑)