私たち作家は、アンモラルの中で生きている

瀬戸内さんは、1943年に結婚、翌年に長女を出産するも、48年婚家を出奔。「瀬戸内晴美」として文壇で華々しく活躍しながら、妻子ある作家との恋愛がスキャンダルとして雑誌に取り上げられていた。『婦人公論』に掲載された手記「〈妻の座なき妻〉との訣別」などでもその内幕を明かしている。

1973年11月には岩手県平泉の中尊寺で得度受戒し、法名寂聴尼となる。その際の心境も、『婦人公論』で綴っている(「“佛の花嫁”になった私の真意」)。瀬戸内さんは人生の岐路ごとに、自身の気持ちを正直に明かしてきた。

独占手記「“仏の花嫁”になった私の真意」(『婦人公論』1974年1月号掲載)

 

作品としても『夏の終り』(女流文学賞受賞)『かの子繚乱』『青鞜』『花に問え』(谷崎潤一郎賞受賞)、現代語訳『源氏物語』などを精力的に執筆していった。

瀬戸内さんを「作家の枠を超えたスター」と林さんは評する。

「寂聴先生ほど誰もが知っている作家いないでしょう。ネットでは子どもを置いて不倫して、さんざんっぱら自分勝手なことをしていた人だと瀬戸内さんのことを言う人もいるけれど、何を言ってるんだろうと。半世紀以上前の話ですし、その出来事があったから、私たちは今先生のすごい小説が読める。そんな四角四面なことばかり言っていたら、文学なんていずれなくなるんじゃないか、と怖くなりましたね。私たち作家はアンモラルの中で生きているんだから。

とはいえ、私なんかはそんな度胸もチャンスもないから普通に生きていますけれども。先生に『真理子さんみたいにつまらない人生、女の作家としてダメね』と言われたこともありますよ。それほど先生は、そのつど命がけで生きてきたということなのだと」

最後に会った6月には、「亡くなった後のこと」を気にしているようだったと林さんは言う。

「寂聴先生は亡くなる前に、自分が客観的にどう見られたかが気になったんだと思う。『私の作品で後世まで残るのは、源氏物語の現代語訳だけよ』とはっきりおっしゃっていたから。一方で、まだまだ書きたい欲があるとも。これだけ書ききった人が、今以上何を望むのだろうかとも思うけれど、望まずにいられないのが作家なんでしょうね」