1959年に渡ったブラジル、サンパウロで暮らしたアパートにて(写真提供:角野栄子オフィス)

好奇心のおかげでブラジルまで

大学を卒業して23歳で結婚した後、「世界を見てみたい」という夫婦共通の思いを叶えるために、翌1959年に2人でブラジルに渡ったのも好奇心のなせる業でした。工業デザイナーだった夫が、当時、新たな首都として建設中のブラジリアを見たいと言ったので。

当時の日本は海外へは自由に渡航できなかったので、自費移民として2ヵ月間の船旅を経てサンパウロへ。今考えると、かなり勇気がいる行動でした。父にも心配されましたけど、知らない世界に飛び込んでいくのはちっとも怖くなかったですね。これからどんな暮らしが始まるのか、むしろワクワクしっぱなし。今でもそうなんですけど、目の前の道を歩いていって、その先の角を曲がったら、何が見えるだろう? って、常に好奇心にかられているので。

現地では言葉を習うところから始めて、仕事を探し、2年間夫と2人で働いて、ヨーロッパを旅してから日本に帰国できるだけのお金を貯めました。このときの経験が、「どこでも生きていける」という自信を私にくれたのです。

また海外の暮らしでは、日本で美徳とされている「遠慮」や「謙遜」は足かせになる。「あなたは何ができるのですか?」と聞かれたときに、「たいしたことはできません」と謙遜すると、「その程度の能力」の人間だとみなされてしまうから。「これができる」と、自分の力をきちんと主張することが大切なのだということも学びました。

あまり悪口は言いたくないのですが、近頃の日本人からは好奇心や冒険心が失われているような気がします。私なんて、娘が4歳のときに、幼稚園を休ませて2人でヨーロッパに行ったのよ。泊まる宿も決めずに、スペイン、スイスなどを2ヵ月間、転々と旅して。理由はもちろん、自分が行きたかったから(笑)。娘はヨーロッパより原っぱのほうがいいって言ったんですけどね。

夫は「いいよ」と言ったけれど、義理の両親は反対だったんじゃないですか。なのにそんな冒険ができたのは、私が早くに母親を亡くし、「模範となる大人の女性」のひな形を知らずに育ったからかもしれません。おかげで、それなりの苦労もありましたけど、常識的な人の意見があまり気にならない性格になったのではないでしょうか。