26歳、ブラジルから船でポルトガルへ渡り、ヨーロッパ9000キロを車で旅した。途中に立ち寄ったスペインのバルセロナで(「『「作家」と「魔女」の集まっちゃった思い出』(KADOKAWA)より)

一生、〈書く人〉でいようと決めた瞬間

私が初めて本を書くことになったのも、移民としてブラジルで暮らすという、普通の人とは違う経験があったからです。大学の恩師である龍口直太郎先生から、「ブラジルでの体験を、子ども向けの物語として書いてみないか」と思いがけないお誘いを受けました。そこで、サンパウロで仲良くなった少年の思い出を書いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』がデビュー作になったのです。

それまでは絵を描いてみたり、翻訳のアルバイトをしてみたり、持ち前の好奇心でふわふわとあちこちを漂っていましたが、そこからはまるで魔法にかかったように、書くことに集中していきました。

「自分には物語なんて書けない」と、最初は尻込みしていたものの、いざ書き始めたらブラジルでの思い出が次々によみがえり、1週間で原稿用紙300枚を書き上げた。ところが、「長すぎます。70枚に減らして」と編集者から言われて。そんなこと無理だと諦めかけたものの、1年かけて十数回書き直している間に、「ちっとも苦じゃない。私は書くことが好きなんだ」と気がついた。

物語を考えていると、現実の世界で抱えている不安や心配ごともちょっぴり和らいで、ずっと飽きずに生きていくことができる。それで、一生〈書く人〉でいようと決めたのです。

今も毎日午前10時半から夕方の4時頃まで、コツコツと何かしらを書いています。私の中に「いい気持ちライン」というものがあって、それを超えるものが書けるまで何度も何度も書き直します。

今日10枚書いたら、次の日は2枚まで戻って、そこから書き直す。少し進んでは戻り、また少し進んでは戻る、の繰り返し。200枚の長編を書くときは、2年かかることもありますね。でも、そうやって書き直していくと、自分でも思っていなかった方向に物語が動き出し、「この先、どうなっていくのかしら?」と、書いている私もどんどん楽しくなっていくのです。

仕事とはそうした地道な作業の積み重ねなのだと思います。好きだと思ったことをコツコツ続けていくと、あるときそれが〈カチッ〉とはまり、本当に好きなものに変わっていく。そして、それが生きる道になったらとても幸せ。私は自分の好きなものが見つかって本当によかったと思っています。