「筑紫哲也 NEWS23」最後の出演

筑紫さんが「番組を降板する」と『23』に別れを告げた最後の出演は、死の8ヵ月前となる2008年3月28日。その日の番組をあらためて視聴したが、背筋の伸びる思いがした。ほとんど体力の限界に達していた筑紫さんが最後のかすれた声を振り絞っていた。

この日の進行表が残っていた。『筑紫23』ではなくなった現『23』に今も(2015年5月時点)在籍し続けている棟ちゃん(吉田〈棟方〉美穂さん。業務デスク)が、その進行表をみつけてきて小さな叫び声をあげた。進行表の「編集長」の欄に「筑紫哲也」と書かれていたからだ。

この欄はその日の担当デスクの名前が記されるのが通例となっていた。18年半に及ぶ『筑紫23』の進行表で、編集長欄に筑紫さんの名前が記されているのは、この最後の出演の回だけである。当日の黒岩亜純・担当デスクが万感の思いを込めて、そのように筑紫さんの名前を書き込んだのだ。

「18年半の末に最後の日になって、ああ、この番組の編集長は、やっぱりずうっと筑紫さんだったんだ」。

放送時間が近づくにつれてそのような強烈な思いが高まり、黒岩デスクは、0版段階では書いていた自分の名前を消した。放送が終わってからだが、「筑紫編集長」名の進行表を筑紫さんに見せると、筑紫さんは何も言わずに複雑な笑みを浮かべていたという。

この日、23時48分25秒から筑紫さんはまるで遺言のように、次のような「多事争論」を述べて番組を去った。敢えて全文を掲げておく。今こそ、この「多事争論」の言葉をかみ締める時だと思うからだ。

筑紫さんが最後の「多事総論」で語ったこととは(写真提供:写真AC)

ちなみにこの日の「金曜深夜便」は「筑紫哲也×忌野清志郎」というがんサバイバー志向者同士の対談だった。吉岡弘行デスクと鎮守康代ディレクターの制作によるものだ。