『セイ!ヤング』の“ハガキ職人”に

そうこうしている内に、クラスでもっとも積極的な女子のグループが私を仲間に入れてくれました。

フジテレビで土曜日の15時から放映していた『ビートポップス』というディスコをスタジオで再現したような番組のファンだった彼女たちは、「洋楽を誰よりも知っている」という理由で、私に声をかけてくれたのです。

ルックスは冴えないままでしたが、私がクラスで“それなりの人気者”になるまで、そう時間はかかりませんでした。すべては土居まさるさんを、いまでいう“完コピ”したお陰です。

同時に、土居さんの『セイ!ヤング』にハガキを書く、いわゆる“ハガキ職人”となり、小学4年にして“常連”になった私。『ハロー・パーティ―』の「ヤング・ジョーカー」という週ごとにテーマが異なるダジャレを投稿するコーナーでも、ずいぶん採用されましたし、『セイ!ヤング』では、小学生ゆえの珍しさから、1回の放送で3回も読まれた日がありました。

生まれて初めての“快感”であり、クラス内での存在感が急上昇。そこからは、みんなが嫌がる係に率先して立候補したり、“お誕生日会”の企画を考えたりしたものです。

同時に、成績は急降下しましたが、学校に行くのが楽しくなり、夏休みや冬休みには、文化放送に“追っかけ”のように土居さんを訪ねたりもしました。