「もっと違う経験をして、常に新鮮な自分でいないと、いつか何かが枯渇してしまうのではないかという危機感がありました」(撮影:小林ばく)
さまざまな役を演じわけ「カメレオン俳優」とも称される松山ケンイチさん。女優の小雪さんと結婚し、3人の子どもとともに1年の約半分は地方で過ごしているそうです。現在、沖縄のコザ騒動を背景にした舞台『hana―1970、コザが燃えた日―』に出演中の松山さん。沖縄への思いと、都会と自然の中での二拠点の暮らしについて、月刊化リニューアル号となる『婦人公論』2月号で語っています。発売中の本誌から特別に本文を公開します(構成=篠藤ゆり 撮影=小林ばく)

何ごとにおいても失敗したい

地方と東京の2ヵ所に拠点を持つようになり、3年ほど経ちます。地方にいる間は野菜を育てているのですが、毎年、何かしら失敗しています。でも、それは僕自身が望んだこと。野菜作りに限らず、何ごとにおいても失敗したいんですよ。失敗をするなかで、「こうしたらいいんじゃないか」「ああしたらどうだろう」と試行錯誤して、自分自身で何かをつかみたい。

ただ、まわりで野菜を育てている方たちからもアドバイスをいただけるので、それなりの成果は出るようになりました。地元の人たちとコミュニケーションを取りながら、勉強している。そんな段階です。

そういえば、去年はスイカが大きくなった頃に寒くなり、出来がイマイチだったんです。そうしたら近所の農家さんが、「昔はそういう時、スイカ糖にしていたよ」と教えてくれました。

スイカの果汁を煮詰め、メープルシロップみたいなドロッとした蜜にして、風邪の時に舐める健康食品として重宝していたとか。それを聞いてさっそくチャレンジして――。初めて知ることがたくさんあって、本当に面白いんですよ。

この生活は、もともとは僕のわがままから始まったことでした。17歳で俳優デビューするとともに青森県から上京。それからは東京で暮らしていましたが、いつしか仕事場と家を往復するだけの単調な生活になっていることに気が付きました。

野菜を育てたい、動物を飼ってみたい、お祭りに参加したいなどやりたいことはあったのですが、それは「東京でやりたいこと」ではなくて。