戦時下で女学校受験のできない田舎へ疎開。自分の進路を見つけられなかった。可能な限りの学びを得たが、坊ちゃん育ちの男性との結婚で苦労した。娘たちに恵まれたことでようやく90点 (89歳)
90点
90点
バブルの頃、寝る間も惜しんで働いた。いまはそのごほうびをいただいていると思っている。自分のことはすべて自分で。毎日死ぬのを待つだけだから、なんの欲もない (95歳)
90点
90点
天職だと思う仕事を定年までやり遂げ、子どもたちの応援のもと、我慢していた結婚生活にピリオドを打つことができた。最高! (68歳)
87点
87点
母の顔も知らずに他人に育てていただいた。結婚したら夫が難病に。30過ぎて水商売をはじめ、40年以上銀座で小さな店を経営してきた。子どもたちには寂しい思いをさせたし、コロナで店は閉店、いまはなにか自分にできることを探している (78歳)
80点
80点
私たちが物心つく頃の日本は貧しかった。いまは何でもほしいものが手に入って幸せな時代だが、子どもができなかったことが唯一の心残り (82歳)
80点
80点
夫との死別、職場での人間関係などつらいこともあったが、縁あって異性の方との結びつきができた。頑張ってきた自分に80点をつけ、この先の人生で100点満点をとれるように充実した毎日を送りたい (64歳)
80点
80点
17歳で原爆被害に遭ったことを思えば、今日まで無事に過ごせたことに感謝しかない (93歳)
80点
80点
40年間、看護師として勤めた。夫と子ども、義母のためにと懸命に働き、私がローンを組んで戸建てを買った。真面目に生きてきた (80歳)
70点
70点