平治の乱(1159年)―― 平清盛 VS 源義朝
翌26日、信頼・義朝追討の宣旨(せんじ)を得て官軍となった平氏軍が、源氏軍のこもる内裏に攻め寄せた。源平の棟梁が激突した初めての戦いである。
義朝の長男・悪源太義平(あくげんたよしひら)と清盛の嫡子・重盛(しげもり)の一騎打ちなど華々しい合戦が展開された。
やがて、平氏軍は敗れたと見せかけて撤退。これを追って源氏軍が出撃したところ、平氏軍が内裏を占拠する。信西によって再建された内裏を戦火から守る陽動作戦であった。
退路を断たれた源氏軍は六波羅に殺到し最後の決戦を繰り広げる。しかし、もともと源氏軍は兵数が少ないうえ、源頼政の離反もあって惨敗。
再起を図るべく東国に逃れた義朝は尾張(おわり=愛知県)で家人に暗殺され、東山道へ逃れた義平も捕らえられ、六条河原で処刑される。義朝の3男である、当時14歳の頼朝は捕らえられ伊豆(静岡県)に流された。
ここに武家の一方の雄である源氏は没落し、平氏の全盛時代が幕を開けるのである。