ジャーナリズムが立候補に文句をつけたがった理由

石原が参議院の選挙に出るという話を聞いたのは、それから数ヵ月後である。彼が文字通り「立国は私なり」を生きはじめたのは疑う余地がなかったが、それと同時に私は、ついに出たのかというのと、やっぱり出たのかというのとの入りまじった、一種複雑な感情を味わいもした。

1968年、自由民主党公認で参議院議員へ初当選を果たした石原さんだが、4年後には無所属として衆議院へ鞍替えする。1972年撮影(写真:本社写真部)

私は、石原が自民党から立候補したことにひっかかっていたわけでは少しもない。石原はマルクス主義者でも社会主義者でもないので、革新政党に入党するはずがない。創価学会員だという話も聞かないから、公明党から立つはずもない。政治は力だと思っている彼が、無所属から立候補すればかえって不自然である。

若い世代が反体制・反権力的でなければならないという流行思想は俗論にすぎない。なぜなら若者が反抗的になるのは古来生理の必然であるが、反体制は政治的イデオロギイの範疇に属する概念で、相互のあいだにもともとなんの因果関係も存在しないからである。

したがって、体制的若者が少しも悪を意味しないように、反体制的老人も少しも悪ではない。さらに反権力政党というのは論理矛盾である。

自民党であれ、社会党・共産党であれ、およそ権力を志向しない政党はない。野党とは権力奪取に失敗した政党のことであって、反権力を存在意義とする政党のことではない。

かりに百歩をゆずっても、35歳の石原はすでにそう若くさえない。

すでにそう若くもなく、「立国は私なり」という国家主義を信奉し、政治が力であることを率直に認め、革命をおこさずに日本の社会を改善し得ると思っている石原が、自民党から立候補したのはきわめて当然である。

ジャーナリズムが文句をつけたがったのは、石原があまりにも正直に、あまりにも率直にこの当然の行動をおこなったからにほかならない。さらにいえば、ジャーナリズムは、この当然の行動の説得力の強さに愕然とし、そのことに反感を持ったのである。