パリ中の知識人が毎週のように集う家

──結婚を決意なさった当時のことに戻りますが、若くして一世を風靡する大スターになったのに、その立場を捨て去ることに未練はなかったのですか?

映画というものにおいてまだ成し遂げていないという無念さはありました。でも、当時、私は閉塞感でいっぱいだったのです。『君の名は』という映画で全国を回ったのに、景色なんて何も見えなかった。押し寄せる群衆と、叫び声やらで……ある種のファナティックな熱狂に怯えたし、自分が壊れていくという恐怖心があったのね。スターという身分を素直に喜べない、可愛くない女の子だったかもしれない。

いろいろなレッテルを貼られて皮膚呼吸もできない、と自分で作った部屋に閉じこもっていた。その部屋のドアが大きく開いて、すがすがしい春風が入ってきた。イヴ・シァンピが春風をまとって入ってきたのです。

──パリに発ったのは『雪国』の撮影が終わって2日後。プロペラ機で50時間もかけて、パリに着いたのは5月1日、“すずらん祭り”の日だったそうですね。

そう。だから、5月1日は私の独立記念日です。愛するものを捨て、私の24年間に別れを告げ、未知の世界へと独り歩きだした記念日。

実のところ彼自身のことをよく知らなかったと気づいたのは、彼の家に着いてからです。シァンピ家は、執事夫妻や使用人がいる、代々続く名家でした。サルトルやボーヴォワール、アンドレ・マルローといったパリ中の知識人や欧米の映画人が毎週のように集って、政治やら時事問題をジョークを交えて話したり、ピアノを弾いたり、イヴが突然トランペットを吹いたりして、楽しい文化サロンのようでした。

今思えば、あらゆる意味で、私にとってもフランスにとっても、すてきなベルエポック(良き時代)だったと思います。とはいえ、猫に小判で、シァンピ家の女主人である私は、何を話題にみんなが盛り上がっているのか、さっぱりわからん。(笑)