「はじめての里帰りのとき、タラップを降りた私の目に信じられない光景が飛びこんできました。黒山の報道陣、眼が眩むほどのフラッシュ。思いもしなかった歓迎にただ驚きました」撮影:大河内禎

夫の純粋な親切を仇でかえすことになった

夫としてのイヴに今でも感謝しているのは、東京オリンピックのあった1964(昭和39)年までの7年間、毎年日本への里帰りの航空券をプレゼントしてくれたこと。しかも、いつもファーストクラスで。当時は日本のお金を海外へ持ち出すことが禁じられていたので、私は日本にあった自分の蓄えをいっさい使えなかった。そんな私のために航空券を手配してくれるイヴの思いは、大事な一人娘を気持ちよく手放してくれた私の両親への恩返しだったと思うの。

はじめての里帰りのとき、タラップを降りた私の目に信じられない光景が飛びこんできました。黒山の報道陣、眼が眩むほどのフラッシュ。思いもしなかった歓迎にただ驚きました。もっと驚いたのは、松竹の巨匠・木下惠介監督が、台本を用意して待っていてくださったこと。『風花』という脚本をポンと私に渡して「お帰りなさい!」とおっしゃった。感激しました。溢れる涙をこらえるのがやっとでした。

──それからは毎年帰国されるたびに、待っていたようにいい作品に出られましたね。

あれからのほうが作品に恵まれました。航空券をプレゼントしてくれた夫のやさしさが女優・岸惠子の思わぬ復活になって、でも、今思えば、それが離婚の遠因になったかもしれませんね。夫の純粋な親切を仇でかえすことになったようで、申し訳なく思っています。

岸惠子さんが『徹子の部屋』に出演「41歳で紙一枚持ち出さずに離婚、51歳で作家デビュー。どんな苦境にあっても自由と孤独を取りこんで生きてきた」〈後編〉につづく