5歳頃。親戚の結婚式(母親の妹)で。お隣は従妹。 この頃はまさか、両親と離れるなど夢にも思ってない良き時代。しかし、子供時代から落ち着きのない性格だった。両親と一緒の貴重な1枚

 

人を笑かすと自分の辛いことが吹き飛ぶ

笑いで結ばれてた仲間たちにも足を向けて寝られません。親のいない我が家は子どもたちのたまり場となり、お菓子食べ放題、マンガ読み放題。つまらんことで喧嘩したり、かと思えば仲良く笑ったり。にぎやかさに心底救われました。

ある日、仲間に誘われてローカル番組の収録を見に行ったんです。

司会の西川きよし師匠が「今日のゲストは西城秀樹さんです。一緒に歌いたい人はいますか?」と。友達が僕の腕を取って「はーい」と言いながら挙げたところ指名されまして。舞台で師匠から「何年生ですか?」と訊かれて「6年生でおます」と答えたら、客席が笑いの渦につつまれた。あれは衝撃的な体験でした。痛快でね、「そーか、人を笑かすと自分の辛いことが吹き飛ぶんや!」と。師匠に「君の顔やったら一発で吉本OKやで」とか言われて微妙な気持ちになったのも、今ではいい思い出です。(笑)

 

人生最大の転機を迎え

きよし師匠の相方の、横山やすし師匠のラジオ番組に出演させていただいたこともありました。笑いに厳しい人で、「素人でもお構いなし」という体でしたが、何かの拍子に「おもろいやっちゃなぁ、お前」と言われて、あれも嬉しかったなぁ。

当時、僕は素人参加型のお笑い番組などに次々と応募しては出場し、いわばコンテスト荒らし状態だったんです。優勝金額の相場は3万円くらいで、住んでた市営住宅の家賃が2000円ほどだったので、中学1年の終わりごろには経済的に自立してました。『ぎんざNOW!』(TBS系)という番組の「素人コメディアン道場」というコーナーにも挑戦し、5週勝ち抜いて優勝したんですけど、先のことは考えてなかった。

そんなある日、たまたま点けたラジオで桂きん枝師匠の「狸賽」(たぬさい)という落語を聞いて感動したんです。その流れで人生最大の転機を迎えます。時を同じくして友達に寄席に誘われたというのも不思議なんですけど、生まれて初めて出かけた寄席で桂枝雀師匠の落語に触れた、というのが決定打となりました。言葉にできないほどの感銘を受け、「ぜひとも弟子入りさせてください」と直談判を試みたものの、その時は「今は学校の勉強第一。高校を卒業して、社会勉強をしてから出直してきなさい」と諭されて終わったんですけどね。

12際の時に母親、13歳の時に父親に蒸発され、途方に暮れていた。その寂しさや悲しさを紛らわせてくれたのはやはり大好きな落語だった。生活費を稼ぐためテレビ出演も積極的に。写真は桂枝雀に憧れていた中学2年の入門前。関西テレビ『凡児のお手並み拝見』に出演した時のもの