動物の生態を追う番組を見ていたマリさん。つらい展開を前に、途中で視聴するのをやめたそうです。今までそういうことはなかったはずなのに、その原因として思い当たったこととは――。(文・写真=ヤマザキマリ)

つらい展開を前に、テレビを消して

先日、アフリカの動物たちの生態を追う番組を視聴していたら、親とはぐれてしまった仔ライオンが餓死しそうな展開となり、つらくなった私は番組を見るのをやめてしまった。こんなことは今までなかったのだが、いったいどうしたことなのか。

「人間には現実のすべてが見えているわけではない。多くの人間は見たいと欲する現実しか見ていない」というのはユリウス・カエサルの言葉だが、確かに人というのはメンタルが脆弱になるとその傾向が強くなる。

私が仔ライオンの死の場面を予知してテレビを消してしまったのも、日々蓄積している疲労が原因かもしれないが、自分の感受性が以前より過敏になっているのを実感した。

実際、「見たいと欲する現実しか見ない」という傾向は現代の世界全体に蔓延している。

人間の生き方も社会のあり方も思い通りにはならない場合が多々ある、という心算を誰もしなくなってきているし、少しでも「見たいもの」以外のものを提示されると、容赦ない手段で弾圧や制圧をしてくるような国も増えている。

自分が担当している某新聞社の人生相談を見ていても、おおむね人の悩みの本質は、自分の思い通りにならないことへの不満や怨嗟だし、「こうあるべき」「こうであってほしい」という予定調和への信念は確固たるものとなっている。望んでいること以外の事態の展開や現象を目の当たりにすることを許さず、視野を自ら狭窄的にしていくのだ。

芸能人のほんの些細な不祥事にも人々が騒ぐのは、我々によって象られたペルソナである彼らには、自分たちの信じていること以外の行動をとってほしくないからだが、最近はいつにも増して世間での「見たいものだけ見たい」ジャッジメントが厳しくなっているように思う。