●湯ヶ島温泉(静岡県伊豆市湯ケ島)/湯ヶ野温泉(静岡県賀茂郡河津町)
川端康成『伊豆の踊子』

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」

――でこの短編小説が始まる。川端康成の『伊豆の踊子』である。

孤独や憂鬱な気分から逃れるため、一人旅に出た〈私〉(=川端康成、第一高等学校生)が、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れになる。その一座の踊子の少女に淡い恋心を抱き、旅情と哀感を描く、川端康成初期の代表作『伊豆の踊子』に登場するのが湯ヶ島温泉と湯ヶ野温泉である。〈私〉は修善寺温泉で一泊した後、伊豆半島の真ん中にある湯ヶ島温泉に二泊する。

「それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下して一心に見ていた」

川端康成が宿泊したのは「湯本館」で、それ以後10年にわたりここを常宿として利用し、実体験をもとに『伊豆の踊子』を書き上げた。執筆した2階の5号室は「川端さん」と呼ばれ、今でも当時のままで直筆の原稿や写真などを展示した資料館になっている。寝室に使った狩野川沿いの「山桜の間」は、空室であれば宿泊も可能である。私たちは平成9年に運よくこの部屋に宿泊できた。

「川端さん」と呼ばれる『伊豆の踊子』を執筆した湯本館2階の5号室

湯ヶ島温泉は伊豆半島のほぼ中央、天城山の山ふところに抱かれ、中心部を流れる狩野川に臨んで、いくつもの温泉が湯煙を上げる天城温泉郷にある。その中心を成すのが湯ヶ島温泉で、川端康成が宿泊した「湯本館」は明治5年創業の老舗旅館である。共同浴場「河鹿(かじか)の湯」「世古の湯」の他、ペット専用の露天風呂「犬猫温泉」もあるユニークな温泉郷である。

湯ヶ島温泉では井上靖が『しろばんば』を、尾崎士郎が『人生劇場』を執筆している。

秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉

湯ヶ島温泉のすぐ近くに「日本の滝百選」の一つで、石川さゆりの「天城越え」にも登場する「浄蓮の滝」の遊歩道入り口には「伊豆の踊子」像も建てられている。

湯ヶ野温泉は伊豆半島の下田に注ぐ河津川の上流にある河津温泉郷の一つで、河津川沿いに温泉街が広がる。

『伊豆の踊子』では〈私〉と旅芸人一座はこの温泉に別々に逗留し、〈私〉は「福田家」に泊まっている。

「私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかり下りて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向うは温泉宿の庭だった」

「私は川向うの共同湯の方を見た。(中略)脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った」という文がある。

『伊豆の踊子』が出版された当時、「福田家」の人たちは、一人の学生さんをお泊めしたという意識しかなく、作品の内容の地形から時おり「自分たちの宿かな」と思っていた程度であった。昭和30年に、川端康成の主治医の赤堀医師が同館に宿泊し、川端康成に電話をかけたことがきっかけで『伊豆の踊子』に出てくる旅館が「福田家」であることが判明。数日後に女将が鎌倉に住んでいた川端康成を訪ねた際、原稿用紙に万年筆で、『伊豆の踊子』の一節を書いてくれたという。

『伊豆の踊子』の中に出てくる共同浴場は今も存在するが、残念なことに地元住民専用で一般客は入ることができない。

福田家」では昭和40年にこの川端康成直筆の一節を敷地内に文学碑として建立した。除幕式には川端康成はもちろん、歴代の映画で踊子を演じた田中絹代、吉永小百合も出席したという。また敷地内には踊子のブロンズ像も建っている。

「浄蓮の滝」の遊歩道入り口にある「伊豆の踊子」像

※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。