『婦人公論』9月8日号の表紙に登場している宮崎美子さん(表紙撮影:篠山紀信)

 

デビュー後は厳しい視線にさらされ

まさか40年後も芸能界で生きているなんて、初めて篠山さんに写真を撮っていただいた当時は想像もしていませんでした。

家族がびっくりしていたのも今では懐かしい思い出です。父が銀行員でなかなかに堅い家庭だったのですが、ある日、一家でテレビを観ているときに私が出演したコマーシャルが流れ……。海辺の木陰で服を脱いでビキニ姿になるというものだったものですから、全員「……」。弟はいたたまれなかったのでしょう。途中で2階へ上がってしまったんですよ。(笑)

大学卒業後は熊本放送のアナウンサーになりたいと思っていました。でも、ポーラテレビ小説『元気です!』のヒロインに選ばれ、在学中に女優デビュー。その後、プロダクションに所属したのですが、素人の女子大生からプロになったわけですから、途端に厳しい視線にさらされるようになって……。20代は試練の連続でした。

時代はバブル真っただ中。テレビ業界では次々とトレンディドラマが製作されていましたが、私はその波に乗れなかった。あの頃はほかの女優さんと自分を比べて落ち込んだり、友人が社会人として輝いている様子を見聞きするたび、私は本来のコースから外れてしまったのではないかと不安や焦りを募らせたり……。自己嫌悪に陥って自宅にひきこもり、カウンセリングを受けていた時期もありました。

27歳のときに黒澤明監督の映画『乱』に出会わなければ、今の私はなかったと思います。失敗するのが怖くて萎縮していた私に、黒澤監督は「ありのままでいいんだよ」と声をかけてくださった。あのお仕事を通じて私は、体当たりして恥をかいても、そこから学ぶことで楽になるという術を覚えました。

もうひとつ、時を同じくして再会した篠山さんの言葉も大きかった。「私は女優という仕事を軸にしつつ、ニュースで情報を伝える仕事をしたいのですが、どう思われますか?」と伺ったら、先生は「そのための勉強もしていないのにできるわけがない」と。そのうえで「女優という仕事は世界一素敵なんだよ」と進むべき道を示してくださったのです。

でも私は何事にも時間がかかるたちで、女優としての居場所をみつけたのは41歳のときです。黒澤監督の遺稿脚本をもとに製作された映画『雨あがる』で、主人公の武士に寄り添う妻・たよを演じました。

たよさんは必要最小限の荷物で旅をする潔い女性でしたので、私も自宅のリビングにあった家具を処分して、ちゃぶ台だけで暮らしてみようと思い立ち、実行に移したのです。役になりきろうと必死でした。やりがいのある役との出会い、そして何よりも素晴らしい方々とのご縁に感謝しています。