ケアのアウトソーシングとは
もっとも動きにくいヒトの動きが大きくなってきたのが、グローバリゼーションです。このグローバリゼーションの大波をかぶったありとあらゆる社会が、それに対する適応を迫られました。
日本も例外ではありません。そのようななか、すべての社会が出した答えが、女性の労働力化が必須である、ということでした。
この改革を日本で進めてきたのが、ネオリベこと新自由主義(ネオリベラリズム。経済活動(市場)への政府の介入の最小化、自由競争を重んじる考え方。小さな政府、民営化、規制緩和といった政策をめざす経済思想のこと)政権でした。
ネオリベ政治家たちは、「女性活躍」とか、「202030(2003年、政府があらゆる分野において『2020年までに指導的地位における女性の占める割合を30%にする』と制定した男女共同参画政策の目標のこと。しかし20年には達成できず断念、『20年代の可能なかぎり早期』に先送りされた)」とか、女性に対して口あたりのよいことをいいます。
保守政治家とネオリベ政治家って、一見、見分けがつきにくいんですが、決定的な違いがあります。
ネオリベ政治家は保守政治家と違って、口が裂けても「女よ、家庭へ帰れ」とはいいません。女に働いてもらいたい。子どもも産んでもらいたい。ただし、自分たちにつごうのいい働き方をしてもらいたい、というのがネオリベ政治家です。
女の労働力化がマストであるときに、女を家庭に縛りつけている重荷、ケアの重荷(care burden)を肩から下ろしてあげなければなりません。「わたしがいないと、この子はどうなるのよ。この年寄りはどうなるのよ」というケアの重荷を、第三者に移転しなければなりません。これを、ケアのアウトソーシングといいます。
ケアのアウトソーシングの選択肢には、いくつかオプションがあります。
第一は、市場化オプションです。女も稼いで、自分が稼いだおカネでケアサービスを市場で買いなさい、というオプションです。
第二は、公共化オプションです。たとえば保育所とか高齢者施設を用意して、そこに子どもと年寄りを預けなさい。その運営は国や地方自治体が責任を持ちますというオプションです。つまり、ケアの脱家族化には、市場化と公共化のふたつのオプションがあります。
第三に、「女も男も半分こイズム」という、ケアワークを夫も妻もイーブンに背負うという私的な解決法もあります。
これを、平等主義家族(egalitarian family)といいますが、残念ながら、もっともありそうもない選択肢です。なぜなら、男女賃金格差があるかぎり、稼ぎのよい男が、ボクも仕事を減らして家事・育児を一緒にやるよとは、絶対にいわないからです。
その代わり、ボクが稼いだお金でベビーシッターを雇うなり、家事代行サービスを買えばいいじゃないっていうでしょう。なぜなら男の機会費用のほうが女の機会費用より圧倒的に高いために、ケアサービスを市場で購入するほうが、経済的に合理的だからです。
これが市場化オプションですが、市場化オプションとは私的解決の一種であることは説明しました。