誰がケアを担うのか

これをモデル化すると、図1のようになります。

図1:ケアの公共化と私事化(『最後の講義完全版 上野千鶴子 これからの時代を生きるあなたへ 安心して弱者になれる社会を作りたい』より)

ケアが私事化されているか、公共化すなわち脱私事化されているかでふたつに分かれます。私事化の選択肢には、家族化と市場化があります。

忘れないでくださいね、市場化は私事化の下位概念ですから。自分で稼いだお金で、市場でサービスを買いなさい、つまりケア負担を私的に解決しなさい、ということです。

公共化の選択肢には、家族化と脱家族化があります。家族化とは、ケアはそれぞれの家庭の責任でやってもらうが、その分は税金を安くするとか、給付や年金を支給するとか、国家がその貢献を評価するというオプションです。

いわば家庭内のケア労働者に国から賃金が支払われる(たいがいの場合、おそろしく低賃金ですが)というようなものです。日本の国民年金の第3号被保険者制度もその一種だといえます。

このオプションでは、女性がケア労働者に固定される傾向があります。公共化のもうひとつのオプションは、公的機関が責任を持ってケアサービスを現物で給付するというものです。子どもを保育所に預けるとか、介護保険サービスを使うとかいうオプションです。

日本はこのうち、どれを採用したのでしょうか。

この30年ぐらいのあいだ、女性の労働力化が進んできた国では、女性を家庭から外へ引っ張りだすために、ケアのアウトソーシングを推進してきました。

ここで前出のモデルを使うと、男女平等が達成されてきた国と、そうじゃない国の違いが、非常にうまく説明できます。ひとつが、夫婦が共に働いて家計を支え、国がケアのアウトソーシングの責任を引き受ける。これがケアの公共化モデルで、北欧諸国が採用しました。

もうひとつが、夫婦が共に働いて、必要なケアサービスは市場で買いなさいというケアの市場化モデルで、アメリカやイギリスなどのアングロサクソン諸国が採用しました。

アジアにもこのモデルを採用した国があります。シンガポールや香港のキャリアウーマンには、両立問題がありません。なぜなら、家にはナニー(母親に代わって子どもの身のまわりの世話をするだけでなく、しつけや勉強、情操教育などを行う乳幼児教育の専門職。世話をするだけの場合も)やメイドがいるからです。