やはり人は、生きてきたように死ぬのかもしれない
対談後、何十年もたってから、「あぁ、あのときあの人が言っていたのはこういうことだったのか」と、改めて感じることもあります。
リチャード・アベドンは世界的な写真家ですが、ベトナム戦争のさなかに戦場に行き、1000枚を超える写真を撮った。けれどたった1枚しか発表しなかったというので、「なぜですか?」と尋ねると、「僕が撮ると、たとえ悲惨な戦争でも美しく映ってしまう」と答えた。
この言葉は、いまだにときどき思い出します。そして年齢を重ねるにつれ、芸術家の業の深さが、余計胸に突き刺さるようになりました。
この本に登場する19人のうち、17人はすでに亡くなっています。かといって、寂しいという感じはしません。僕より先にあちら側にいった。そんな感覚ですね。
『婦人公論』にも掲載された浅川マキさんや太地喜和子さんは、その人らしい亡くなり方をしたなと感じます。太地さんが長生きをして、高齢者施設で暮らしている姿など、想像もできません。
もしかしたら自分らしい死に方まで演出して、消えていったのではないか。やはり人は、生きてきたように死ぬのかもしれない。最近、そんなことも考えました。
皆さん、胸襟を開いてくださったのは、たぶん僕の根本にある「人間が好き」という部分が相手に伝わったからでしょう。何が面白いといって、人ほど面白いものはありません。
人間に対する興味が尽きない限り、僕はまだ、生きていけると思うのです。