やっと思う存分、父に甘えられた母

父は陸軍に召集されて言語学者の道を諦めました。同時期に父親が急死し、妹2人を養わなければならなくなりました。体がひ弱で、徴兵検査では丙種合格だったため、戦地に行くのは免れたのですが、

「同級生で優秀な者ほど戦争で死んでいった。わしが生きとるのが申し訳ない」

とよく言っていました。

母も、父親と姉を早くに亡くし、4人きょうだいの一番上として会計事務所で働き、家計を支えたようです。二人とも弟や妹を一人前にしてから、やっと身を固めることを考え、1958(昭和33)年にお見合い結婚。父が37歳、母は29歳でした。

どうやら母は会社勤めの頃から、父のことを知っていて、気になっていたようです。お見合いの席で父は「初めて会う人じゃ」と思ったそうですが、母は「ああ、通勤で毎朝すれ違いよる、あの人じゃ」と。そして父が戸惑うほどの母からの猛プッシュで、二人は結ばれたのでした。

それでも母が認知症になるまでは、どちらかと言うと淡々とした夫婦でした。少なくとも娘の前では、ベタベタすることはありませんでした。それが、認知症になってからというもの、母はやたらと父に甘えだしたのです。私がいてもお構いなく「お父さん、お父さん」と……。

母はずっと甘えたかったのかもしれません。なんせ独身時代の「憧れの君」だったのですから。

認知症で長年のお行儀良さから解放されて、大好きな父に思う存分甘えられる。母は案外幸せなのかも、と思うこともあります。