育児休業なし。産後43日目で職場復帰

私は、終戦が間近に迫った1945年4月生まれ。父の勤め先は満鉄(南満洲鉄道)で、生後4ヵ月のとき、母とともに現在の北朝鮮から日本に引き揚げてきました。

激動の時代、祖父がひとりっ子の私にいつも言っていたのは、「これからは女の人も手に職をつけなければいけない。そうすれば、どんなことがあっても働いて生きていける」ということです。

当時の私にとって、女性の安定した職業といえば教師か医師でしたから、医師の道を選びました。長崎大学医学部在学中に学生結婚。卒業後、長崎大学病理学第2教室に入局し、長男を出産しました。公務員なので、産前と産後にそれぞれ6週間の休みはありましたが、もちろん育児休業はなし。職場に復帰したのは産後43日目です。首も据わらない乳児を預かってくれる保育所はありませんでしたので、無認可保育所を頼りました。

その翌年に長女を産んだときには、大学病院の中に保育所ができていたので、休み時間に母乳をあげることができました。ただ、病理学教室での仕事は解剖や生検、研究はもちろん、学生の教育や指導の補助もあって本当に忙しい。一番困ったのは、病気で保育所に預けられないときでした。

というのも、夫のような大学医局の臨床医は、あちこちの病院を転勤しながら経験を積むため、勤務が不規則。とりわけ夫は外科医としての仕事に熱心で、まったく頼ることができなかったのです。

佐賀に住む実母を頼ろうにも、長崎のわが家に到着するまでに3時間はかかります。いま思えばわずかな時間ですが、その間、夫と私のどちらが子どもに付き添っているかの攻防で、結局いつも私の仕事に皺寄せがくるのでした。