小学6年生で「歌手になる」と宣言

長男と長女は、中学卒業とともに対馬を離れ、佐賀の私の実家に寄宿して高校に通いました。それは、ある日長男から「高校受験の参考書が買えない」と言われたから(笑)。それまで私もぼんやりしていたのですが、離島は書店も少ないし、ほしい本があっても、いまのようにネットですぐに届く時代でもない。そこで私もようやくハッとしたわけです。

当初、小児科医は私だけでしたから、夜に呼び出しがあれば何時でも病院に行かなければなりません。島に一人残った次女が眠るのを見計らい、こっそり家を出るのですが、あるとき彼女が眠ったふりをしていることに気づいた。互いになにも触れませんでしたが、子どもながらに事情を察し、我慢してくれていたんだと思います。

子どものために親が自分の人生を犠牲にする。それもひとつの生き方として賛美されるでしょう。でもね、母親も社会の一員なわけです。だから社会に責任を果たす姿を見せてもいいのだと私は思ってきました。きっと次女は、夜中に出かけていく私をそういうふうに見ていたのではないでしょうか。

世界中で、湾岸戦争をはじめとする紛争が続いていたころの、次女の作文を思い出します。亡くなる子どもの数のほうが、兵士の死者数より多いと知った小学生の彼女は、「私は子どものままで死にたくない。だから私が大人になるまで戦争をしないで。戦争をさせない大人になるから」と書いていました。「戦争をしてはいけない」と言うのではなく、わが身に引き寄せて考えるところが次女らしいですね。

アフリカや子どもたちへの支援活動も、歌うことと同じような気持ちで取り組んでいるんだと思いますよ。誰かを明るくするために、自分はなにができるのか。そして、それが叶えば彼女にとって嬉しいことなのでしょう。

子どもが大好きで、対馬にいたころも、夏休みの間などによく病院の保育所を手伝いにきていました。幼いころから音楽に興味を持ち、対馬では合唱団にも入って。発表会を一緒に観に行ったら、知らないうちに一人で入団申し込みに行っていたんです。(笑)

小学6年のときには、もう「歌手になる」と宣言していたので、家族も彼女の歌を楽しんだり、レッスン先を探したりして応援しました。ただオーディションを受けるといった本格的な活動は、大学に入ってからでも遅くない、と私は伝えていました。

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