家族で長崎県の対馬へ。離島医療の充実を
家族で長崎県の対馬に渡ったのは、長男が中学2年、長女が中学1年、次女が5歳のときです。長崎は離島の多い県ですから、緊急時には自衛隊の協力のもと、ヘリコプターで患者を搬送するシステムが整っていました。それでも、現地で最新の治療をしたほうがいい。離島医療や地域医療の中核となる病院に勤めて、夫はそう考えるようになったのでしょう。
ようやく仕事が楽しくなってきたところでしたので、私には迷う気持ちがありましたが、夫婦で島内の長崎県離島医療圏組合対馬いづはら病院(現・長崎県対馬病院)に赴任することを決めました。
4年後、病床数を200床に増やして病院を新築するにあたり、私が絶対につくりたかったのが院内保育と病児保育の施設です。看護師さんの子どもを預かる小さな託児所はあったのですが、赤ちゃんは預かれないし、子どもが病気になれば働けない。私自身、そのことで非常に苦労しましたから、病児保育室の開設は私の切実な願いでもありました。
ただでさえ人手不足の離島です。本土から看護師さんにきてもらい、しかも長く働いてもらうには、育児しながら働ける環境が絶対必要だと思いました。それに保母の資格を持つ女性は島内に多くいたので、結果的にその雇用やモチベーションの向上にも繋がった。
あのときつくった病児保育室は、いまも看護師さんや赴任した女性医師たちの助けになっていると聞いています。