「ルイ・アームストロングが来ているぞ」


EMクラブは横須賀の京浜急行汐入駅前にあり、もともとは日本海軍の「下士官兵集会所」だった。戦後、駐留軍に接収され、建て替えられた。新しくなった建屋は、まるでヨーロッパの居城のような威容を誇り、尖塔には星条旗がはためいていた。二階、三階を吹き抜けた約1400席の劇場のほかに、パーティールームが六室あった。各フロアーにはいつも兵士たちが溢れていた。松谷のバンドを含めて楽団員総数は約60名、それぞれが同時に各部屋で演奏を始めると、建物全体が「わーん」と唸るように揺れたという。

建物は長く米軍基地の施設として使われ、1983年に日本政府に返還、1990年に解体された。現在は横須賀芸術劇場になっている。

松谷が記憶している当時の出演者の顔触れは多彩だった。

雪村いづみは、まだ15歳の美少女だった。本名は朝比奈知子で、愛称「とん子」と呼ばれていた。美空ひばり(お嬢)、江利チエミ(チーちゃん)と並び戦後歌謡界の「三人娘」の一人だった。松谷のバンド演奏で歌う彼女の可愛いパフォーマンスは好評で、たちまち兵士たちの人気者になった。

松谷穣と雪村いづみ。当時15歳。EMクラブにて(写真提供◎松谷冬太さん)


ピアニストの中村八大、ハナ肇が率いるクレージーキャッツ、デューク・エイセス、リリオ・リズム・エアーズなどはクラブの常連で、松谷の「スイング・トーチャーズ」と対バンを張ることも多かった。

ある日、EMクラブで信じられないような瞬間が訪れた。

「ルイ・アームストロングが来ているぞ」

誰かが叫ぶ声に大騒ぎになった。

ルイ・アームストロングの「On the sunny side of the street」


聴きなれたトランペットの音がする。音を便りに部屋に飛び込んでみると、目の前にルイ・アームストロングが立っていた。ジャズの巨人を一目見ようと、会場は興奮のるつぼである。左手に白いハンカチ、額の汗を拭き、いつもの満面の笑みを振りまいて、あのサッチモが演奏していたのだった。これこそが、松谷がルイ・アームストロングを見た、最初で最後の感動的瞬間となったのである。


鎌倉FM「世界はジャズを求めている」特別番組編
11月10日(木)14時オンエア!

ご視聴はこちらから→『鎌倉ジャズ物語

出演:筒井之隆、松谷冬太(ヴォーカリスト)
聞き手:村井康司(音楽評論家・『世界はジャズを求めてる』パーソナリティ)